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ペーター・ハントケ
ペーター・ハントケ Peter Handke
1942年12月6日~
オーストリア、ケルンテン州グリフェン生まれ
オーストリア生まれの現代ドイツ文学を代表する作家。小説のみならず、演劇、詩、放送劇、映画シナリオ、翻訳と様々な分野で活動している。1954年から1959年までタンツェンベルクのカトリック系寄宿学校で学校雑誌『ファッケル』(松明)に参加。1961年から1965年までグラーツ大学で法律学を学んだが、最初の小説『すずめばち』の草稿がズーアカンプ社で採用された後、自ら退学。学生時代からグラーツの文芸サークル“フォーラム市公園(Forum Stadtpark)”に参加して、機関誌『マヌスクリプテ(Manuskript)』で短編作品を発表していた。1966年、演劇「観客罵倒」がフランクフルトで脚光を浴びる。同年、“47年グループ”のプリンストン大会で同時代の文学を厳しく批判し、華々しく文壇に登場した。 1960年代は、小説「すずめばち」(1966)、「行商人」(1967)、戯曲「観客罵倒」(1966)「カスパー」(1967)など、実験的な作品を書く。

「ゴールキーパーの不安」(1970)は、伝統的手法による初めての小説であり、70年代のハントケは新内面性の文学の代表作家の1人として評価される。この時期の主な作品に、「長い別れのための短い手紙」(1972)、「これ以上望むべくもない不幸」(1972)、「真実の感受の時」(1975)、シナリオ「まわり道」(1975)、監督作品にもなった「左利きの女」(1976)などがある。その後「ベルリン・天使の詩」(1987)でも脚本を担当し、とても美しいドイツ語の詩を披露している。
サム・シェパード
サム・シェパード Sam Shepard
1943年11月5日~2017年7月27日
アメリカ、イリノイ州フォート・シェリダン生まれ
劇作家、演出家、俳優、ミュージシャンと様々な顔を持つ現代アメリカの奇才。1960年代のオフオフブロードウェイで頭角を現し、1970年、ミケランジェロ・アントニオーニと「砂丘」を共同脚本。79年に「埋められた子供」でピューリッツァー賞を受賞。75年には自らのバンドでドラムを叩き、ボブ・ディランのツアーに参加。また83年の「ライトスタッフ」では実在の空軍パイロット、チャック・イェーガーを演じてアカデミー助演賞候補になった。その後も映画出演多数。2004年、再びヴェンダースと組む。
ロビー・ミュラー
ロビー・ミュラー Robby Müller
1940年4月4日~2018年7月4日
オランダ領キュラソー島ウィレムスタット生まれのオランダ人
戦後のドイツ映画界で活躍したオランダ人の撮影監督ゲラルト・ヴァンデンベルクらの助手をつとめ、テレビ映画「Der Fall Lena Christ」で撮影監督して独り立ちする。翌年、ヴェンダースの短篇「アラバマ2000光年」を担当して以来11本の撮影監督をつとめている。ジム・ジャームッシュの「ダウン・バイ・ロー」(1986)やビョーク主演の「ダンサー・イン・ザ・ダーク」(2000)など国際的な活躍を続けている。
アンリ・アルカン
アンリ・アルカン Henri Alekan
1909年2月10日~2001年6月15日
フランス、パリ生まれ
フランスの偉大な撮影監督。ジャン・コクトー監督「美女と野獣」(1943)、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督「アンナ・カレニナ」(1948)、マルセル・カルネ監督「港のマリィ」(1949)、ウィリアム・ワイラー監督「ローマの休日」(1956)ほか多数。ヴェンダースとは「ことの次第」で組み、「ベルリン・天使の詩」のモノクロからカラーへの美しい映像を撮りりあげた。「時の翼にのって」ではキャプテン役で出演。遺作はアモス・ギタイ監督の“Golem, le jardin petrifie”(1993) だった。
ユルゲン・ユルゲス
ユルゲン・ユルゲス Jüergen Jüerges
1940年12月12日~
ドイツ、ハノーファー生まれ
ブレーメンのギムナジウムを卒業した後、ベルリンの写真学校で学ぶ。ハンスユルゲン・ポーランド率いるアート・フィルム・ソサエティで働いた後、様々な映画のカメラマン助手として修行。その後、ファスビンダー監督「不安と魂」(1973)「秋のドイツ」(1978)「ヴェロニカ・フォスの憧れ」(1981)、ヘルマ・サンダー=ブラームス「ドイツ、青ざめた母」、ヴェンダースがプロデュースしたトルコ映画「鉄の大地、銅の空」ほか。日本の篠田正浩雅監督「舞姫」のドイツでの撮影も担当した。
フェドン・パパマイケル
フェドン・パパマイケル Phedon Papamichael
1962年~
ギリシャ、アテネ生まれ
母親がドイツ人で、高校はドイツに行き、同名の父親がジョン・カサヴェテスのアートディレクターとして働いていた1966年から2年間渡米する。その後ミュンヘンで美術を学んだ後、渡米。カサヴェテスの勧めで本格的に写真を始め、フォト・ジャーナリストとして働く。ロジャー・コーマンの元で短篇映画を作り始め、撮影監督として多数の映画に携わる。「クール・ランニング」(1993)「あなたが寝てる間に」(1995)「パッチ・アダムス」(1998)「アメリカン・スウィートハート」(2001)「アイデンティティー」(2003)など。ヴェンダースとはコマーシャルの撮影やU2のプロモーションビデオで組んだ後、「ミリオンダラー・ホテル」と3本の音楽ドキュメンタリー映画、「10ミニッツ・オールダー」の撮影を担当する。
ペーター・ブルツィゴッダ
ペーター・ブルツィゴッダ Peter Przygodda
1941年10月26日~2011年10月2日
ドイツ、ベルリン生まれ
2年間編集助手として働いた後、1970年からフリーの編集者として働いている。卒業制作の「都市の夏」以降ヴェンダースのほとんどの作品を編集している。
ユルゲン・クニーパー
ユルゲン・クニーパー Jürgen Knieper
1941年3月15日~
ドイツ、カールスルーエ生まれ
作曲家。ベルリンの音楽アカデミーで作曲を学んだ。映画音楽は30本以上てがけている。ヘルマ・サンダース=ブラームの「ドイツ青ざめた母」(1980)、「エミリーの未来」(1984)ほか多数。
ライ・クーダー
ライ・クーダー Ry Cooder
1947年3月15日~
アメリカ、LA郊外のサンタ・モニカ生まれ
1960年代末ごろからキャプテン・ビーフハートのギタリストやローリング・ストーンズのバックをつとめるようになり、1970年、23歳でソロ・デビュー。R&B、ブルース、ゴスペル、ジャズ、カントリーなどアメリカのルーツとなった音楽を追究。それだけでは飽きたらず、メキシコ、沖縄(琉球)、ハワイ、ギターの故郷西アフリカ、キューバへの音楽を発見、現地のミュージシャンたちと競演してワールドミュージックを体現するような活動を続けている。自らのアルバムのみならず、サントラの仕事も多い。
ローラン・プティガン
ローラン・プティガン Laurent Petitgand
1959年9月28日~
フランス、ナンシー生まれ
1981年、ペーター・ハントケとヴェンダースが脚本に参加したヘンリー・ジェイムズ作品の映画化「鳩の翼」"Ailes de la colombe"の映画音楽を手がけたのが最初。「東京画」や「都市とモードのビデオノート」「時の翼にのって」の音楽を担当。「ベルリン・天使の詩」ではサーカスの親方の役で出演、サーカスの音楽を担当した。3人組のバンド「ディック・トレイシー」のメンバーで、舞台音楽なども手がける。
ウルリッヒ・フェルベルグ
ウルリッヒ・フェルベルグ Urlich Felsberg
1952年~
1983年、ベルリンで映画業界に入る。1987年、「ベルリン・天使の詩」のときロード・ムーヴィーズ・フィルムプロダクションで経営を管理。以後ヴェンダースのプロデューサーとして数多くの作品を手がける。ヴェンダース作品以外ではケン・ローチ監督の「大地と自由」「ブレッド&ローズ」ほか多数。99年、ロード・ムーヴィーズ・フィルムプロダクションはデジタル特殊効果のダスワークと合併。両者の重役を兼務し、国際的な映画プロデューサーとして活躍している。
クリス・ジーヴァーニッヒ
クリス・ジーヴァーニッヒ Chris Sievernich
1946年12月10日~
ドイツ出身。ジャズクラブの経営者から映画プロデューサーを目指して1975年に渡米。「ニックス・ムービー」の際、プロデューサーを捜していたヴェンダースと知り合い、同作に参加。ヴェンダースとニューヨークに製作会社グレイ・シティを設立、ヴェンダース作品を次々に製作する。その後ヴェンダースは経営から抜けるが、単独でジョン・ヒューストン監督の「ザ・デッド」(1987)、フィリップ・ノイス「愛の落日」(2002)などを製作した。
ドナータ・ヴェンダース
ドナータ・ヴェンダース Donata Wenders
1965年6月20日~
ドイツ、ボルン出身
シュトゥットガルトの写真学校等を出て1987年よりカメラマンとしての活動を開始。映画の撮影あるいは撮影助手をしていた。ヴェンダース映画では「アリーシャと熊とストーンリング」「ファーラウェイ・ソー・クロース!」の撮影助手をしていた。1993年ヴィムと結婚。以後ヴェンダース監督作品のスチール写真を撮影し、「ブエナビスタ・ソシアルクラブ」「ミリオンダラー・ホテル」の写真集等を出版。世界各地で展覧会も開いている。
フランツ・ルスティヒ
フランツ・ルスティヒ Franz Lustig
1967年10月7日~
ドイツ、フライブルク出身
フリーランスの撮影助手やエディターとして働いた後、1991年にバーデン・ヴュルテンベルク映画アカデミーに入学。1994年から主に広告業界でカメラマンとして働き、短編映画とドキュメンタリーの後、ヴェンダースの長編映画で撮影監督を務めている。「アメリカ、家族のいる風景」で2005年のヨーロッパ映画アカデミーによるヨーロッパ最優秀撮影監督を受賞。

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