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リュディガー・フォーグラー
リュディガー・フォーグラー Rüdiger Vogler
1942年5月14日~
ドイツ南部ヴァルトハウゼン生まれ
1964年より舞台を中心に活躍。1971年にペーター・ハントケのテレビ用劇映画に出たのがきっかけでヴェンダースの「ゴールキーパーの不安」に端役で出演。続く「緋文字」で彼と子役のイエラ・ロットレンダーとのシーンが萌芽となって「都会のアリス」が誕生する。「まわり道」「さすらい」とロード・ムービー3部作の主演。他にハントケが監督した「左ききの女」に出演。ずいぶん間をおいて「世界の涯てまでも」に出演し、「リスボン物語」では主役として再登場した。
ブルーノ・ガンツ
ブルーノ・ガンツ Bruno Ganz
1941年3月22日~2019年2月15日
スイス、チューリヒ生まれ
ベルリンのシャウビューネ劇場に参加し、シェイクスピア、イプセン、ブレヒト、ハントケなどの作品に出演する。映画はエリック・ロメール監督の「O侯爵夫人」(1975)に出演、ハントケが監督し、ヴェンダースがプロデュースした「左ききの女」(1978)やヴェルナー・ヘルツォークの「ノスフェラトゥ」(1978)、アラン・タネール監督の「白い町で」(1983)など。2004年ドイツ国内で初めて作られたヒトラー映画「Der Untergang」で主演のヒトラー役を演じ、あまりに似ていて議論を醸し出す。非常にナイーブな感性が表情一つにも現れるタイプの俳優で、ひげとか濃いのに少年のようだ。こう見ると、自分は本当にこの人の映画は見ているんだなぁとあらためて感心。
ハンス・ツィッシュラー
ハンス・ツィッシュラー Hans Zischler
1947年6月18日~
ドイツ、バイエルン出身
作家、フランス構造主義著作のドイツ語翻訳家、演劇プロデューサーとして有名で、俳優としては自分が選んだ場合しか出演しない。ヴェンダース作品にも、初期の大学時代の作品と「さすらい」だけである。ゴダールの「新ドイツ零年」(1991)に出演している。
デニス・ホッパー
デニス・ホッパー Dennis Hopper
1936年5月17日~2010年5月29日
アメリカ、カンザス州ダッジ・シティ生まれ
俳優、映画監督。1950年代のジェームス・ディーン主演作品に脇役で登場。69年の「イージー・ライダー」で監督・主演し、一躍時代の寵児になるが、1971年の「ラスト・ムービー」でユニヴァーサルともめてハリウッドを追放される。その後は海外での仕事やB級映画に出演しながら、アルコールとドラッグ中毒に苦しむ長い年月を送る。「地獄の黙示録」撮影直後に「アメリカの友人」の撮影に入る。1986年「ブルー・ベルベッド」で俳優としては一気に復活を果たし、1987年「カラーズ 天使の消えた街」で監督業の方も再開。俳優業と監督業を続けていたが、2009年10月に前立腺癌であることが報じられ、2010年5月29日カリフォルニア州の自宅にて死去。
ハリー・ディーン・スタントン
ハリー・ディーン・スタントン Harry Dean Stanton
1926年7月14日~ 2017年9月15日
アメリカ、ケンタッキー州出身
1956「ララミー砦の反乱」でデビュー。西部劇や戦争映画で寡黙な脇役を演じ、性格俳優ぶりを発揮。出演作も100を越える。
パトリック・ボーショー
パトリック・ボーショー Patrick Bauchau
1938年12月6日~
ベルギー、ブリュッセル生まれ
オックスフォード大学で現代文学を専攻、仏語、英語、独語、スペイン語、イタリア語が話せる。1960年代は『カイエ・デュ・シネマ』誌に寄稿した縁でエリック・ロメール作品に出演。70年代は映画界から身を引いて家具職人をしていたりしたが、80年代に入り復活。ヴェンダースの「ことの次第」ではフリッツ・マンローという映画監督の役を演じ、「リスボン物語」で同じ名前の映画監督として再登場した。「誰のせいでもない」(2014)にも主人公の父親役で登場。出演作は「私生活のない女」(1984)、「今そこにある危機」(1994)ほか多数。NBCのテレビシリーズ「プリテンダー」(1996,2001)のシドニー役で人気を博した(公式サイト)。
ピーター・フォーク
ピーター・フォーク Peter Falk
1927年9月16日~2011年6月23日
アメリカ、ニューヨーク生まれ
ハミルトン大学で政治学を修めた後、ニュー・スクール・フォー・ソーシャル・リサーチ・シラキューズ大学を卒業し、予算局に勤務していたが、28歳のとき、演劇の道に転身。1956年ブロードウェイで初舞台をふむ。1958年にはニコラス・レイ監督の「ジャングル・ガードマン」で映画デビュー。1971年に始まったテレビシリーズ「刑事コロンボ」が大あたりし、全世界に顔を知られるようになった。ほかに「ブリンクス」「名探偵登場」など。また故ジョン・カサヴェテス監督作品には欠かせない性格俳優として「こわれゆく女」「ハズバンズ」等に出演。ヴェンダース作品では、ピーター・フォークその人として「ベルリン、天使の詩」「時の翼に乗って」の2作に出演している。3歳の時に右目を腫瘍のためになくし義眼を入れている。
2011年6月23日ビバリーヒルズの自宅で心臓麻痺のため死去。
オットー・ザンダー
オットー・ザンダー Otto Sander
1941年6月30日~2013年9月12日
ドイツ、ハノーファー生まれ
デュッセルドルフ室内劇場、ハイデルベルグ市立劇場に参加した後ベルリンへ映り、フォルクスビューネ劇場で活躍。1971~1980の間シャウビューネ劇場に招かれ様々な舞台に出演した。ヴェンダース映画には「ベルリン、天使の詩」で初参加。当時同じシャウビューネ劇場に所属していたブルーノ・ガンツに誘われてのことだった。続編である「時の翼に乗って」では主役を演じる。ヴォルフガング・ペーターゼン監督「Uボート」(1981)、マルガレーテ・フォン・トロッタ監督「ローザ・ルクセンブルク」(1985)など。本業は舞台俳優で、エルンスト・ルビッチ賞はじめ様々な賞を受賞している。
ニコラス・レイ
ニコラス・レイ Nicholas Ray
1911年8月7日~1979年6月16日
アメリカ、ウィスコンシン州出身
舞台でキャリアをスタートさせ、1945年エリア・カザン監督の「ブルックリン横丁」の助監督となる。49年の「夜の人々」で監督デビューを果たし、55年の「理由なき反抗」で世界的に有名になった。63年の「北京の55日」を最後に監督を離れた。最後にこの「ニックス・ムービー」をヴェンダースと共同監督している。
サミュエル・フラー
サミュエル・フラー Samuel Fuller
1911年8月12日~1997年10月30日
アメリカ、マサチューセッツ州生まれ
1949年「地獄の挑戦」で監督デビュー。第二次大戦での従軍経験を生かした「最前線物語」「鬼軍曹ザック」などを監督。ゴダールの「気狂いピエロ」に出演するなど、俳優としての活躍もある。1989年「ストリート・オブ・ノー・リターン」は最後の監督作品。ヴェンダースは彼を「アメリカの友人」のギャング役、「ことの次第」のカメラマン、「エンド・オブ・バイオレンス」の主人公の父親役と何度も起用している。1997年に死去。
ルー・リード
ルー・リード Lou Reed
1942年3月2日~2013年10月27日
アメリカ、ニューヨーク州ブルックリン出身
1965年に、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドを結成。1967年にアンディ・ウォーホルによるバナナのジャケットで知られるアルバム「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ」でデビュー。1970年に脱退後はソロ活動に専念。ヴェンダースとは上記作品に出演するほか、「夢の涯てまでも」「時の翼にのって」「ミリオンダラー・ホテル」「ソウル・オブ・マン」のサウンドトラックに曲を提供したりと縁の深いミュージシャンの一人。2013年に死去。

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