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はじめに


ヴィム・ヴェンダースは1945年生まれで、2005年で60歳になる。映画監督としては円熟味を増した…とか巨匠とか言われるような年齢だ。たとえばミケランジェロ・アントニオーニとかフェリーニとか、ベルイマンとか、そんなイメージからはほど遠い。そもそも、商業的には「パリ、テキサス」「ベルリン・天使の詩」「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」があたったくらいで、決してメジャーな作品を作り続けている、というわけでもない。一方、”シネアスト”たち(批評家や映画通)が好む映画を作り続けている、というわけでもない。彼らの目からすると、「パリ、テキサス」あたりでヴェンダースは終わった、良くて「天使の詩」までだ、という見方が大方である。 30代だと「天使の映画の人」だし、20代中盤くらいでようやく「ブエナ・ビスタ…」を知っている、という程度であろう。2004年公開の「ソウル・オブ・マン」で「ああ、やっぱり音楽ドキュメンタリーの人だな」という見方をされてもしょうがないだろう。

1984年、私は学生で、自ら進んで独文を専攻していたが、まじめな学生とは言い難かった。通っている大学には独演劇で知られた教授もいたが、どちらかというと映画の方が好きだった。そんな折、ドイツの映画監督が撮った「パリ、テキサス」という映画がカンヌ映画祭のグランプリを受賞した、すごい映画だという噂が映画誌などに書かれていた。その頃ちょうどゲーテ・インスティトゥート(東京ドイツ文化センター)にも顔を出し始めた頃だった。まじめな独文の学生にとっては原書の図書室があるので、頻繁に通わなければ行けない場所だったのだが、私は今一つ動きが鈍かった。だが、映画が多数上映されていて、他の古い映画を見たりしたこともあった。

実際、ヴェンダースの特集にも強い目的意識をもって見に行った記憶はない。「アラバマ2000光年」など、相当退屈な映画もあったが、意地で見続けた。 翌85年秋、ようやく日本でも「パリ、テキサス」が一般公開された。そして蓮實重彦が編集する「季刊リュミエール」が創刊された。創刊号は「パリ、テキサス」の全シナリオ収録だった。映画史における一つの事件だったのかもしれない。少なくとも私にはそう思えた。 ヴェンダース自身も「パリ、テキサス」が、それまで自分のつくってきたもののなかで最高傑作であると認めている。それ以後、ヴェンダース自身は作り手として常に「今作っているものが最高だ」と思っているのだろうが、どうしても私にとっては「パリ、テキサス」が最高傑作であり続けるのだった。

そこからさかのぼって過去の作品を見た。ようやく同時代で作品が見られる!と思って期待していた「ベルリン・天使の詩」はいいところも、?なところもあった。その次の「夢の涯てまでも」でがっくりきて、もう見なくなってしまい、「ブエナ・ビスタ…」で再び盛り上がるまで、気にはなるものの、どうでもいいなぁという感じだった。 「ブエナ・ビスタ…」「夢の涯てまでも」以降の作品を見る気になって、ぼちぼちとまた気にし始めた。かつて夢中にはなったが、今はさほどでも、でもずっと気にはなっている映画監督である。

それなのに、こんなサイトを作る気になったのは、日本語でまとまったサイトがないからだ。映画ファンのサイトの端っこに載っているだけ、というパターンしか見あたらない。このレベルの監督なのに意外だった。日本に造詣の深い、日本好きの監督なのに、ファンサイトの一つもないのは少しひどいなという気もした。しかしよく調べて見ると監督主体の映画サイトってあまりないんだな。

気づいたら、自宅にDVDとパンフレット一通り、書籍や雑誌もあったので、この先誰か若い人が興味をもったら利用してもらいたいと思い、それらを資料としてまとめてみたもの。英語の公式サイトがあるので、日本で入手可能なもの、という観点で編集した。洋版もネットで簡単に入手可能なので、日本語版を優先にし、ない場合に限り少しだけ海外のものも載せている。

(2005年2月)


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