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はじめに


ヴェンダースの映画では音楽は非常に重要な要素である。 そして、しばしば映画のための音楽ではなく、音楽のための映画となることがある。音楽のための映画を撮らせたら、今最ものっている映画監督かもしれない。最新作「ソウル・オブ・マン」も音楽を主役にした映画だし、日本未公開だが、ウィリー・ネルソンの映画なども作っている。

初期の時代「セイム・ザ・プレイヤー・アゲイン」から、音楽に映像をのせたような映画を撮っていた。「ロックが私を救った」という終戦直後生まれのヴェンダース。アメリカやイギリスのロックに魅せられて青年時代を過ごしたところは、日本の同世代にも言えるだろう。しかし、これほど音楽を大切にした映画を作る監督は日本にもドイツにも他に現れていない。

それまで映画音楽とは映画の中のストーリーを盛り上げるためのもので、登場人物たちの耳には入っておらず、観客にしか聞こえないという設定のものがほとんどだった。ヴェンダースの映画では音楽はジュークボックスや登場人物たちの鼻歌、車の中に載せたシングル・プレイヤーなどから聞こえてきて、ストーリーの中に入り込んでいるのだ。ミュージカルではなく、普通の映画に音楽を持ち込んだとも言えるかもしれない。

カンやユルゲン・クニーパーなど、ドイツのアーティストたちと多くの仕事をしていたが、ポルトガルのアーティストやU2のボノともコラボレイトしている。しかしやはり最も成功したのは、ライ・クーダーとの仕事だろう。これには「パリ、テキサス」「エンド・オブ・バイオレンス」「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」がある。

ヴェンダースの映画における音楽の歴史は、「パリ、テキサス」がやはり大きな分岐点になっているように思われる。初期の頃から好きなアーティストの曲をかけて喜んでいた節がある。まるで自分の好きな曲のイメージビデオを作る学生のようだって最初の映画は学生だったっけ。商業映画になってからも著作権の関係で使えないから、と登場人物たちに短く歌わせたりという涙ぐましい状況だった。

「ハメット」は「007」のジョン・バリーという超一流どころをコッポラの力で持ってきたものだから、関係ないとして。「パリ、テキサス」でライ・クーダーと組むことが出来たのも、「アメリカの友人」のヒットがあってこそだろうと思う。そこを分岐点として、様々な曲を使うのではなく、きちんと一流どころにオリジナルの曲を書いてもらえるようになった。 その後はきちんとサントラも出て、声をかければ多くのミュージシャンが集まるようになる。しまいにはU2の方から監督を頼まれる始末。自分の方から一方的に憧れていた一流のミュージシャンたち。そのミュージシャンとは時代的に違うけれど、やはり一流どころから声をかけられるようになる。

ライ・クーダーは「彼は友達のヴェンダース。僕らのレコーディング風景を撮影したいっていうんだけど、いいかい?」と言ってキューバの老ミュージシャンたちに紹介したそうだ。「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」のように「ヴィム・ヴェンダースです。」という名前では通じない人たちを前にすると、昔のようなピュアな気持ちになれるのか。いや、立場は違ってもミュージシャンや「音楽」に対する気持ちは変わらないだろう。

「ソウル・オブ・マン」は「昔好きだったミュージシャンの曲」を「今好きなミュージシャンに演奏してもらう」という贅沢な企画だったんだなと、あらためて思う。

(2005年2月)



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